長野仁先生と寄金丈嗣先生が『医道の日本』で私のことを記事に書いてくれました
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医道の日本≪80周年記念特集≫
これほど嬉しいことはない!!!
『医道の日本80周年記念特集』という専門誌が発刊された。
その中に、「技の原点 学びの原点」というコーナーがあり、そのコーナーの中に寄稿された長野仁先生(森之宮医療大学教授)と、寄金丈嗣先生(六然社主宰)の文章の中に、私のことが書かれていたからです。
長野仁先生は斯界でとても有名な先生で、森ノ宮医療大学で教授をされておりますが、教授という地位にありながら、正式な場でもおちゃらけをするのです。
長野先生のオチャラケは、東北弁で物真似をすることです。
「ンダカラ、イッタベヤ、オラガイッテンダラー、マチガイナイベヤ」といった調子で、会場の皆さんを大笑いさせてしまうのです。
おそらく長野先生を知らない人なら、「何という芸人?」と思うかも知れません。(^_^;)
その長野先生が書いてくれた文章には、私が黒竜江省へ巨鍼を習いに行ったきっかけや、私の経歴などが書かれた後に、私が長野先生に巨鍼をしたときの様子を、ぬいぐるみ人形に喩えて軽快に説明をしてくれていました。
【痛いのは嫌いな私ですが、覚悟を決めてベッドに伏せると、プツッ!と切皮音が耳に届いたのに全く痛みはなく、鍼体は鰻が泳ぐかのように背部の皮下へスルスルと滑り込んでいき、(中略)~~~~、抜鍼後はまるでドブさらいをしていただいたような爽快感、ウルトラマンの着ぐるみのチャックを下ろし、中からゴミを洗いざらい掻き出し、またチャックを上げてもらった、とでも喩えようか。】と。
そして、この記事で一番うれしかったのは、
【古典の矛盾を解く――新城三六師】という小見出しでした。
何故なら、私は10数年、古典の矛盾を解くために時間をついやしたからです。
古典の矛盾を解くために、いろいろな実験方法を考えて実験をし、いろいろな理論を探しては理論付けしようとし、それでも解決できない問題がたくさんあったので、最終的には鍼灸の基礎理論である「易」まで追求していったからです。
最初のころは誰も共感してくれませんでした。
それはそうです。
学校教育では五行論が基本ですからね。
それでも実験をして見せると、その部分だけは共感してくれました。
なので、いろいろな実験方法を考えていったのです。
そして、それが現在の「七星鍼法」になっていったわけです。
ですから、【古典の矛盾を解く――新城三六師】という小見出しに感動したのです。
また、六然社の寄金丈嗣先生も、私のことを書いておられ、
【巨鍼をするときは、いつも隣に新城先生が立っている】といった具合です。
寄金先生は、「武の達人」でもありますので、治療をする時の体位とか、趾の形とか、腰の使い方などを書かれていますが、その達人に、そんなお褒めをいただくと恐縮してしまいます。
もったいない話です。

医道の日本≪80周年記念特集≫
これほど嬉しいことはない!!!
『医道の日本80周年記念特集』という専門誌が発刊された。
その中に、「技の原点 学びの原点」というコーナーがあり、そのコーナーの中に寄稿された長野仁先生(森之宮医療大学教授)と、寄金丈嗣先生(六然社主宰)の文章の中に、私のことが書かれていたからです。
長野仁先生は斯界でとても有名な先生で、森ノ宮医療大学で教授をされておりますが、教授という地位にありながら、正式な場でもおちゃらけをするのです。
長野先生のオチャラケは、東北弁で物真似をすることです。
「ンダカラ、イッタベヤ、オラガイッテンダラー、マチガイナイベヤ」といった調子で、会場の皆さんを大笑いさせてしまうのです。
おそらく長野先生を知らない人なら、「何という芸人?」と思うかも知れません。(^_^;)
その長野先生が書いてくれた文章には、私が黒竜江省へ巨鍼を習いに行ったきっかけや、私の経歴などが書かれた後に、私が長野先生に巨鍼をしたときの様子を、ぬいぐるみ人形に喩えて軽快に説明をしてくれていました。
【痛いのは嫌いな私ですが、覚悟を決めてベッドに伏せると、プツッ!と切皮音が耳に届いたのに全く痛みはなく、鍼体は鰻が泳ぐかのように背部の皮下へスルスルと滑り込んでいき、(中略)~~~~、抜鍼後はまるでドブさらいをしていただいたような爽快感、ウルトラマンの着ぐるみのチャックを下ろし、中からゴミを洗いざらい掻き出し、またチャックを上げてもらった、とでも喩えようか。】と。
そして、この記事で一番うれしかったのは、
【古典の矛盾を解く――新城三六師】という小見出しでした。
何故なら、私は10数年、古典の矛盾を解くために時間をついやしたからです。
古典の矛盾を解くために、いろいろな実験方法を考えて実験をし、いろいろな理論を探しては理論付けしようとし、それでも解決できない問題がたくさんあったので、最終的には鍼灸の基礎理論である「易」まで追求していったからです。
最初のころは誰も共感してくれませんでした。
それはそうです。
学校教育では五行論が基本ですからね。
それでも実験をして見せると、その部分だけは共感してくれました。
なので、いろいろな実験方法を考えていったのです。
そして、それが現在の「七星鍼法」になっていったわけです。
ですから、【古典の矛盾を解く――新城三六師】という小見出しに感動したのです。
また、六然社の寄金丈嗣先生も、私のことを書いておられ、
【巨鍼をするときは、いつも隣に新城先生が立っている】といった具合です。
寄金先生は、「武の達人」でもありますので、治療をする時の体位とか、趾の形とか、腰の使い方などを書かれていますが、その達人に、そんなお褒めをいただくと恐縮してしまいます。
もったいない話です。
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